3 9 年 の あ ゆ み

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 発 端


 昭和40年代の後半、近世農書の輪読会が、故飯沼二郎先生(当時、京大人文研・教 授)を囲んで行われていました。成果がNHKブックスの『近世農書に学ぶ』(1976) として刊行されるのを機に、その会は1年半で終わりました。その後、飯沼先生、故 岡光夫先生(当時、同志社大経済学部・教授)らの編集により、『日本農書全集』第 Ⅰ期の刊行が始まりました(1977~)。飯沼・岡両先生が故三橋時雄先生(当時、京 大農学部・教授)にご相談されて、1977年6月より、新たに農書の研究会が始まりま した。当初は、農書を読むことが中心でしたので、たんに「(近世)農書を読む会」 と名付けて、10名ほどでこじんまりと行っていました。
 次第に若手や中堅の、そして西日本各地からの参会者が増えていき、報告も農書に とどまらず、広く農業史全般に関わるものになってきましたので、1979年5月より現 在の「関西農業史研究会」と改称することにしました。農業史という研究ターゲット を明確にする名称としたのですが、「関西」を冠したのは、当時、全国組織の「農業 史研究会」(現、日本農業史学会)が先行してあったためでした。


 展 開



 そのような事情で「関西」が付されたのですが、関西農業の歴史?と勘違いされたこともありました。それはともかく、 当初は近世農書に関する報告が続きましたが、次第に農業史一般そして社会経済史へ、地域もヨ-ロッパ、アジアとひろがり、 フィールドワーク的な報告も出てきました。具体的なテーマについては下記の「これまでの例会」をご覧ください。
 その報告表題のリストからも窺われるように、会員は農業史や歴史畑だけでなく、作物学、農業工学、農村計画あるいは 農学関係でない分野からも参加が定着していきました。技術畑の参加者にとっては歴史学の考え方や手続きを知る、 歴史畑の参加者にとっては農業技術そのものの考え方を知る格好の機会になりました。そして、 農業・農耕を多角的にとらえて議論が展開されるという場が確立されていきました。



 これまでの例会



1977年
 1 ( 6/19) 倉地克直「農事遺書--鹿野小四郎をめぐって」
 2 ( 7/18) 徳永光俊による書評:飯沼・堀尾『農具』
 3 ( 9/ 3)  田中耕司「小西篤好『農業余話』(1)」
 4 (10/15) 田中耕司「小西篤好『農業余話』(2)」
 5 (11/ 5)  三好正喜「砂川野水『農術鑑正記』」
 6 (12/10) 岡 光夫「大蔵永常『綿圃要務』」
1978年
 7 ( 2/ 4) 内田和義「大蔵永常『農具便利論』」
 8 ( 5/13) 三橋時雄「大蔵永常『除蝗録』」
 9 ( 6/10) 飯沼二郎「大蔵永常の思想について」
10 ( 7/20) 岡 光夫「木下清左衛門『家業傳』」
11 ( 9/30) 徳永光俊「近世大和の農業技術—山本家農書の分析」
12 (11/12) 山田龍雄「櫨蝋関係の二農書をめぐって」
13 (12/ 2) 三好正喜「近世後期畿内先進地の水稲生産力と地主富農層の経営動向」
1979年
14 ( 1/20) 堀尾尚志「近世農書の中の農具」
15 ( 2/ 3)  飯沼二郎「朝鮮総督府の農業技術政策」
16 ( 3/17) 今井敏行「明治期農村計画の事例とその技術的意義について」
17 ( 4/12) 徳永光俊による書評:三橋時雄『日本農業経営史の研究』
18 ( 5/12) 田中耕司「ビルマにおける乾季稲作の諸相」
19 ( 6/ 9)  内田和義「近世中後期北関東における一農民の思想」
20 ( 7/27) 中田謹介「『農稼業事』と大蔵永常」
21 ( 9/ 8) 「中国南部農業視察報告会」
22 (10/ 6) 岡 光夫「『百姓伝記』について—著者像と現代的意義」
23 (11/10) 植村泰夫「ジャワにおける共同占有をめぐって」
24 (12/14) 徳永光俊「『親民鑑月集』と近世南伊予の農業」

1980年
25 ( 2/ 2) 岡 光夫「開拓地における地主の家制度」
26 ( 3/ 5) 内田和義「近世後期北関東における農民の思想について―『農家倢徑抄』の分析を中心に」
27 ( 4/26) 石田 浩「1930年代華北綿作地帯ににおける農民層分解」
28 ( 5/24) 堀尾尚志「『耕稼春秋』―成立及びそこに見る技術的諸相」
29 ( 6/28) 三橋時雄「近世農業経営規模論の一齣」
30 ( 7/22) 堀尾尚志「千歯扱の成立―機能より見たる考察」
        田中耕司「近世農書に見られる作付順序の地域性」
31 ( 9/20) 徳永光俊「幕末大和における農民の生産と生活」
32 (10/18) 荒木幹雄「近世の養蚕技術―『蚕飼絹篩大成』をとおしてみた」
33 (12/ 6) 飯沼二郎「近世農書の成立―イギリス農書との比較において」
1981年
34 ( 1/24) 岡 光夫「幕藩制崩壊期の農業」
35 ( 4/25) 高谷好一「水田の景観学的分類試案」
36 ( 6/ 6) 米田賢次郎「中国古代の麦作について」
37 ( 7/11) 飯沼二郎「福岡農法の成立について」
38 (11/28) 斉藤政夫「近江牛文化について」
39 (12/12) 内田和義「近世畿内における在郷町人の思想」
1982年
40 ( 1/23) 荒木幹雄「戦前近郊農業の発達―京都府南部地域における」
41 ( 3/ 6) 飯沼二郎「エジプト・イスラエル・トルコの農業事情」
42 ( 3/31) 岡 光夫「乾田牛馬耕の展開について」
43 ( 6/ 5) 飯沼二郎「明治初期の農具図誌」
44 ( 6/19) 徳永光俊「幕末畿内の作付方式―近世畿内農業生産力と経営規模」
45 ( 7/16) 三好正喜「18世紀後半のザクセン領オーベルラヴエツ地方におけるグラーツ経営の展開」
46 ( 9/18) 松永靖夫「越後頸城質地騒動について」
47 (10/23) 三好正喜「大阪工業の展開と淀川の治水及び水利」
48 (11/27) 金子治平「戦間期大阪における労働市場と農民分解」
49 (12/24) 荒木幹雄「淀川水系農業水利の発達と農業経営」
1983年
50 ( 3/ 5) 飯沼二郎「世界資本主義と農業革命」
51 ( 4/16) 江藤彰彦「近世土地支配慣行の一考察」
52 ( 5/ 7) 伊藤康宏「加賀藩体制下における奥能登内浦のブリ台網の経営形態の変遷」
53 ( 6/11) 岡 光夫「会津農書の背景と農業技術」
54 ( 7/30) 宮本 誠「奈良盆地における田畑輪換と経営規模」
        徳永光俊「奈良盆地中央部における農業生産の展闘」
55 ( 9/ 3) 勝部眞人「明治中期の広鳥県における老農について」
56 (10/22) 桂 真幸「明治前期の勧農政策と農談会」
57 (11/26) 山下 恭「赤穂前川浜塩田の開発資本について」
58 (12/24) 西村 卓「勧農社農法の晋及」
1984年
59 ( 2/18) 田中耕司「島嶼部東南アジアの土地利用を考える」
60 ( 3/ 3) 伊藤康宏「琵琶湖漁業の展開過程」
61 ( 4/ 7) 河合明宣「ベンガル・ザミンダーリ制の衰退過程」
62 ( 5/15) 有薗正一郎「19世紀中頃の薩摩藩領における耕地利用方式の地域的性格」
63 ( 6/ 2) 足立芳宏「19世紀末ドイツにおける農業労使関係について」
64 ( 7/ 7) 徳永光俊「奈良盆地中央部における近代農業への転換(1)」
65 (10/ 7) 徳永光俊「同上(2)」
66 (11/24) 飯沼二郎「駒場農学校とサイセスター農科大学」
67 (12/22) 岡 光夫「近世農業技術の画期」

1985年
68 ( 1/12) 荒木幹雄「地租改正について」
69 ( 2/ 2) 林 正次郎「近世封建制崩壊過程の一例」
70 ( 3/ 2) 三好正喜「独占資本確立期の近畿農業についての再検討」
71 ( 4/13) 足立泰紀「昭和前期道東地域『仕込み』取引下における漁業生産力の展開と動力漁船の位置付け」
72 ( 5/11) 勝部眞人「鳥取県西伯郡弓浜部における地主制の特質」
73 ( 6/ 1) 坂根嘉弘「大正期及び昭和戦前期における農政論の系譜」
74 ( 7/ 6) 内田和義「『近代化』と大和の老農」
75 ( 9/ 7) 堀尾尚志「日本農具史における明治前期」
76 (10.19)  <第1回研究大会:於同志社大学>
       岡 光夫「農業技術の指導・普及層」
       徳永光俊「奈良盆地中央部における近代農法の確立(1)」
       西村 卓「明治10年における地方勧業機構の形成と展開」
77 (11/ 2) 飯沼二郎「産業革命と農業革命の一般理論」=市場史研究会と合同開催
78 (12/21) 田中耕司「東南アジア島嶼部の開拓空間」
1986年
79 ( 1/18) 綱島不二夫「東北農業から見た奈良田畑輪換農業の現状と課題」
80 ( 2/ 8) 三好正喜による書評:飯沼二郎著『農業革命の研究』
81 ( 3/24) 勝部眞人による書評:荒木幹雄著『農業史』
82 ( 4/26) 西村 卓「明治20年における一老農の農事巡回」
83 ( 5/24) 飯沼二郎による書評:有薗正一郎『近世農書の地理学的研究』
84 ( 6/28) 岡 光夫「明治老農の近世農法への対応」
85 ( 7/12) 内田和義「実業教師と林遠理=勧農社」
86 ( 9/13) 徳永光俊「奈良盆地中央部における近代農業の確立(2〕」
87 (10/11) 田村安興「土佐藩農書にみる水田技術」
88 (11/ 8) 堀尾尚志「農具の機械学」
89 (12/20) 江藤彰彦「福岡藩における記録仕法の改革」
1987年
90 ( 1/10) 田中耕司「マレー型稲作の西遷」
91 ( 2/14) 伴野泰弘「明治10~20年代の愛知県における勧業諸会と勧農政策の展開」
92 ( 3/31) <第2回研究大会:福岡・九州産業大学>
        江藤彰彦「近世中後期の土地関係法令」
        飯沼二郎「農法と民俗学の間」
93 ( 4/11) 伊藤康宏「近世における大阪の漁業と魚場利用」
94 ( 5/ 9) 河合明宣「ベンガル低地開拓史の試み」
95 ( 6/ 3) 重久正次「乍恐手前渡世ニ付謹而奉申上候」
96 ( 7/11) 清水隆久「自著『近世北陸農業史』をめぐって」
97 ( 9/12) 有薗正一郎「『農稼録』にみる木曽三川河口部の水田耕作法」
98 (10/24) 田中耕司「稲作発展の論理―東南アジアと東アジア」
99 (11/14) 堀尾尚志「農業博物館を考える」
100 (12/ 9) 荒木幹雄「老農論」
1988年
101 ( 1/30) 足立芳宏「19世紀後半北西ドイツにおける脱穀労働者問題から」
102 ( 3/ 5) 岡 光夫「自著『日本農業技術史』をめぐって」
103 ( 3/12) 岡・江藤・大島「書評・水本邦彦著『近世の村社会と国家』」
104 ( 4/ 9) 西村 卓「地方名望家と勧農社実業教師の招聘」
105 ( 6/11) 大島真理夫「農業社会の諸段階―一つの試論―」 終了後 <三橋時雄先生喜寿と飯沼二郎先生古稀を祝う会>
106 ( 7/ 9) 金田章裕「条里プランと土地利用―讃岐国の事例を中心に―」
107 ( 9/10) <第3回研究大会> 同志社大学
        佐藤常雄「日本のムラ論―農民史料とムラ分析の視角―」
108 (10/ 8) 荒木幹雄「中国近郊農村の前進―1988年中国旅行印象記―」
109 (11/12) 伊藤康宏「近世的漁業秩序の成立―瀬戸内海域の水主浦制をとおして―」
110 (12/10) 勝部眞人「明治農政と寄生地主制」
1989年
111 ( 1/14) 堀尾尚志 「タイの稲作―やや文化複合論的に―」
112 ( 2/18) 内田和義 「林遠里の農業技術の展開―演説筆記の分析―」
113 ( 4/ 8) 伴野泰弘 「明治10年代の愛知県における『農事改良運動』の展開」
114 ( 6/10) 飯沼二郎 「李朝農業技術史」
115 ( 7/ 8) 伊藤康宏 「近世村の成立と地録網録制」
116 ( 9/ 9) 伴野泰弘 「東三河の老農・丸山方作について」
117 (10/14) 徳永光俊 「農業技術の社会文化史―大和農法の構造と展開―」
118 (12/ 9) 岡 光夫 「日本における農事習俗について」

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