2号  2015/2/6 (通冊101号)
発行:関西農業史研究会
農業の歴史と文化のアゴラ
干柿に寄せて
堀尾尚志 horio@ae.auone-net.jp

 Diospyros kaki Thunberg という学名は、indica、 japoniaと同類の命名である。西洋から来た植物学者が見慣れない種をみつけた。 それを見つけた土地での呼び名を付けている。それを始めて見た記念にか、そしてまた喜びでか。 いや、生まれて最初に見た生き物を親と思ってしまうという、心理学でいうイニシエイションの類であろうか。
 その学名に騙されて、いやこちらが勝手に思い込んで、ながいあいだ日本原産と思っていたのだから、私も偉そうなことは言えない。 ある書籍の紹介記事を頼まれて、ようやく気が付いたのである。
 平安時代に書かれた漢和辞書『和名類聚抄』には、後漢の中国で編まれた『説文解字』を引いて「柿 説文に云う 柿 音は市(シ) 和名賀岐(カキ)」 とあるではないか。しかし、現に日本原産説もあるという。「和名」としてカキと記されているからには、以前からカキがあって、 それに対応する漢字を記したとも考えられる。
 秋も深まってくると毎年、お隣から渋柿をたくさん頂く。皮むきをして指先が黒くなるが、我が家の軒先につるしていると風雅な気分になれる。 いつの歳であったか、行きつけの飲み屋の忘年会にもっていったら大好評であった。正月には、冷凍しておいた干し柿を戻して柿なますを作って来客に出したら、 季節外れの意外性が受けるのであろう大好評である。調子に乗って、我が家の花見にもそれを出している。たいていの人は、どうして今頃?と決まって尋ねる。 熟した柿を冷凍にしておいてもよいが干し柿の方が味に深みがあって宜しい云々、と御託を並べるのである。
 さて、前述のある書物とは、林節男氏によって書かれてた『美味な干し柿生産とその事例』(美味技術学会刊、2013)である。 本書は「干し柿加工に関する研究」と「干し柿の生産地を訪ねて」で構成されている。前半では著者の長年の研究、乾燥特性、 乾燥過程における変色問題、揉みの機械化そして品質保持という一連の研究成果が開陳されている。
 乾燥特性の試験結果を適用した実績のひとつとして「温・湿度制御型の干し柿乾燥庫」詳細に述べられている。 乾燥過程で干し柿を揉むのは、「2次表皮が軟化し、内部の水分が強制的に2次表皮に移動させられ、それが乾燥促進、着色、白粉出しにつながる」 ためという。揉みの機械化に関連して述べられている。
 乾燥過程における変色については、等級選別の定量化、乾燥率が柿表面の彩度、乾燥過程における明度の変化、 同じく黄色みと赤みの経時変化が図に示されている。図を見つめていると、毎年の秋のことが思い出され楽しい気分になった。 技術学の図を見ていてこのような気分になったのは初めてである。
 本書の後半「干し柿の生産地を訪ねて」は、中国、台湾、韓国そして日本各地での現地調査での記録と写真をまとめたものである。
 まず台湾嘉儀県での作り方。皮をむいた柿を丸いトレーに並べ、これを回転させながら乾燥するという。韓国では、 アイデア物の乾燥用吊り具が使用会されている。二股フォークを両端に持つ棹を釣り棒に通しチェーン状に縦につないだものである。 このフォークにT字状に切った梗をかけていく。ひもを巻きつける作業に比べれば、はるかに能率はよいことは一目瞭然。 しかし、それは自分の経験で思っているだけで、手慣れた人ならば従来通りの紐かけでも大差はないのだろうか、などと思いながら読み進んでいく。 日本各地に、なんとさまざまなつるし方のあることか。そして、これだけ多くの名産地があったのかと改めて思いつつ写真を見ていく。 飯田市(市田柿)、美濃加茂市(堂上蜂屋柿)、京都府宇治田原町(鶴の子柿)、甲州市(甲州百目)、和歌山県かつらぎ町(四郷串柿)、 福井県南越前町(燻し柿)と。この燻し柿には黒柿(燻し)と赤柿(硫黄燻蒸)があるという。 黒柿は「今庄柿400年伝統の柿として伝えられている」という。
 『民間備荒録』(明和8、1771年)に「渋柿を調る法あまたあり。先皮をけつり(削り)、火にて烘すべ(あぶり)乾すを、 烏柿(うし)といふ也、黒きゆえに名付くる成るへし」とある。この書は仙台藩の支藩一関藩の漢医、建部清庵が書いたものである。 燻し柿はどうやら各地にあったようであるが、福井のそれが特に名産として残ったのであろう。
 日本各地の干し柿めぐりは、石川県志賀町(最勝柿) 、山形県上山市(庄内柿)、宮城県丸森町(蜂屋柿)と続き、 最後に著者の地元の富山県南砺市(富山干柿) に至る。南砺市は旧福光町や城端町などが合併して誕生した市であるが、 その福光のかつて越後国砺波郡では福光村とともに西勝寺村で特に良い干し柿が作り売り出された。 そのことを伝える宮永正好『農業談拾遺雑録』(文化13、1816年)に、「釣柿(つるし)或ハ串柿といふ大柿のよろしき烏柿ハ、 美濃の産にハ不及とも貴人に捧ても可なるへき」としている。ここでも烏柿がでてくる。『民間備荒録』では燻し柿であるが、 ここでは烏柿は干し柿のことで、この地方では干し柿をトリ柿というので当て字の間違いとされている。な お、大蔵永常『広益国参考』(天保15、1844年)に出てくる烏柿(あまぼし)は少し干した柿である。
 読み終えて、我が家の干し柿の味を思い浮かべた。行きつけの店での忘年会での大好評も、若い人が「久しぶりに食べたけれど、 こんなにおいしいのですね」といったことも。そう、何か仕掛けを考えれば若い人に受けるような気がする。
 日本の若者だけでなく、ヨーロッパにも宣伝してみたい。かの有名な『美味礼賛』を後世に残したブリア-サヴァラン Brillat-Savarinが 干し柿を取り上げていてくれたなら、この作戦はとうの以前に成功していたはずである。それにしても、 どうして取り上げてくれなかったのであろう。「あらゆる学問芸術に通ぜざるなく」のサラヴァンは、 学名のkaki に名を連ねているツンベルク Carl Peter Thunbegとまったくの同世代であったのに。